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算数・数学教科書展の開催に当たって

大阪教育大学附属図書館長 福 山  昭


 附属図書館の地下書庫に入ると,ときおり稀少図書を見いだし,胸がときめくことがあります。若干埃にまみれ,劣化しつつあるのは問題ですが,それらは,本学が明治7年(1874)5月,大阪府が小学校教員の速成のため,東大組南久太郎町5丁目の難波別院掛所内に開設した教員伝習所を創立の基盤とし,翌8年8月大阪府師範学校と改称されて実質的な小学校教員養成機関として発足した長きにわたる歴史と伝統を背景とするものです。
 もっとも,師範学校のころの図書受入の記録がいまに残されているわけではありませんので,詳細を知ることは不可能ですが,書庫内の図書資料は明治年間から連綿として収集されてきたものです。もとより蔵書は質・量ともにけっして誇り得るものではなく,かつ玉石混合といわざるを得ません。しかし,そのなかで貴重な図書の最たるものの一つが,教員養成系大学としての本学の特色に基づく,江戸時代の往来物を初めとする教科書群であります。
 柏原キャンパスへの移転・統合と収集の進展により,それら教科書の保存・公開・利用体制の整備は急務となっています。そこで昨年秋,その第一歩として初めて「昔の教科書展」(国語の巻)を開催しました。展示会は,幸いにも多数のOBを含む教職員,学生,地域住民の方々を迎え,好評のうちに終了することができました。また,開催期間中に実施したアンケート調査では,貴重なご意見を数々賜りました。諺に「柳の下にいつも泥鰌は居らぬ」とありますが,このたび2匹目の泥鰌を求めて算数・数学の教科書を展示することにしました。あわよくば「二度あることは三度ある」こととして,来年度につなげたいと考えています。算数・数学は好き嫌いの度合いが比較的明確化する教科ですので,どのような感想が寄せられるか楽しみです。
 井原西鶴は,元禄5年(1692)刊行の『世間胸算用』巻五「才覚のぢくすだれ」において,子供の大人びた経済面での才覚を自慢する商家の親に対して,寺子屋の師匠が「我此年まで,数百人子供を預りて,指南いたして見およびしに,其方の一子のごとく,気のはたらき過たる子共の,末に分限に世をくらしたるためしなし」と突き放し,「とかく少年の時は,花をむしり,紙烏をのぼし,智恵付時に身をもちかためたるこそ,道の常なれ」と説く話を綴っています。子供が親の抜け目ない才覚をまねて,手習いをも稼ぎに利用しようとする功利的な期待を戒め,発達段階に応じた遊びや学習に専心することが,子供の将来を決めるというわけです。すでに,寺子屋教育がこのような学習の場として主張されていたことは注目に値します。
 近世の大坂市中においては,寺子屋教育は習字が中心でしたが,ほかに,読書や算術を教えるところもありました。算術の教育は,算盤屋と呼ばれた専門の塾で行われ,大坂は商業都市であったものの,実学的な側面だけが求められていたものではありませんでした。その内容は,1桁の割算である「八算」から,平方根を求める「開平」,立方根を求める「開立」,さらには微分方程式の解を求める「求積」にまで及びました。また夜学では,商家の子弟・奉公人を対象に速算が教えられていました。その後,算数・数学教育が体系化されていった過程は,展示された教科書からも確認することができると思います。
 最後になりましたが,このたびの展示に当たり,ご指導をいただいた関係講座の各位に心からお礼申し上げます。


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