
算数の教科書で思い出すこと
大阪教育大学 もう毎年の恒例になった附属図書館の教科書展示。今回は算数の教科書だという。 算数・数学といえば,苦い思い出がある。ぼくは,実は数学の教師になりたかったのだ。中学校の数学の先生が大阪学芸大学の出身で,授業もわかりやすかったが,合間に数学者の伝記をはさんでくれたのがよかった。数学は人間が創りだしたもの,ということを実感させてくれた授業だった。とくに若くして死んだアーベルやガロアなど,それだけで魅力的だった。そんなことで学習意欲をかき立てられ,図書館などで数学の“専門書”をあさったり,新聞少年ならぬ“数学少年”で高校入試を迎えた。 1965年に高校入学。入学直後,憧れの数学の先生に質問した。分数で分母を0にできないという公理がある。なぜか。たとえば1を0.5で割れば2になる。1を0.25で割れば4になる。1を0.125で割れば8になる。分母を限りなく小さくして0に近づけていくと,答えは限りなく大きくなり無限大に近づく。だから,「0にできない」というけど,本当は“無限大”になるからじゃないですかという質問をしたのだ。 ところがその先生は,これは公理だから覚えるしかないと言う。数学こそ考える教科だと信じてきただけに,この答えはショックだった。しかし,大学入試を前提にすれば,この先生の言うことは正しかった。公式を覚えないで試験を受けるものだから,公式を出していくうちに時間がきてしまう。結局,数学の教師どころか,“数学大嫌い人間”になってしまった。 思い起こせば,中学校までの教科書は,もっと生活と結びついていた。だから,算数・数学が好きだったのかもしれない。 ところが高校の教科書になると,公式の羅列によって結論だけが提示され,その背景が見えなかった。 |
小・中・高校という子どもの発達段階を考えれば無理のないこと。自分はそれについていけなかったんだ,自虐的にそう考えていた。 しかし今回,古い教科書を見せてもらって,それだけでもないように感じた。どうやら1960年代の高度経済成長期から,教科書の内容が変わってきている。いろんな可能性を考える。経済優先の文教政策が,教科書の質を変えてしまったのではないか。あるいは“考えること”より“素直に受け入れること”が求められたのではないか。 たまたま手に取ったのが1952年の文部省検定済教科書。たとえば小学校5年は「わたくしたちの図書館」ではじまる。どこが算数かと思わず疑ってしまうが,れっきとした算数の教科書だ。続いて「じょうぶなからだ」「わたくしたちの気象台」「楽しい夏」「はこ作り」と,季節と学校行事にあわせて展開していく。こうしたテーマのなかに,ちゃんと3桁の掛け算や割り算が無理なく入っている。こんな教科書がずっと使われていれば,自分も“数学大嫌い人間”にはならなかったかもしれない。 しかし,同じ小学校の教科書も,1960年代になると次第に生活から離れてくるようだ。なぜか。その理由も含めて,一度ゆっくり算数の教科書を調べてみたい。
『小学生の算数』五年上 新教科書研究会編 啓林館 |
